元先プーの備忘録

ブラックとスイーツに癒されて

元先プーの泣き笑い劇場〈ホ〉

1年間の学校行事の中で、喜びの中にも哀しさのある卒業式。
プー自身、この二つの思いに包まれたことが何度かありました

式当日、職員室で全体の打ち合わせ、学年の打ち合わせを終えます。その後、各学級担任はクラスへ向い、この3年間での最後の朝の会。
3年生一年間、共に学び励んだ子ども達とクラスで出会います。
そして、式場への入場を待ちます。
ハッキリとは覚えていませんが、式場での呼名点呼と起立の練習を教室内でした記憶が何となく残っています。
開式の予定時刻を確認して子ども達と廊下に並び、晴れの舞台、体育館へと歩き始めました。
体育館の入場口が近づくにつれて子ども達の話し声も無くなり、緊張感に包まれていたのを感じ取れました。
体育館に一歩足を踏み入れ一礼のあと、我がクラスの席へ子ども達を誘導し、席に着けば子ども達の顔を見て着席合図。
開式の合図とともに、呼名点呼が始まりました。
顔を見ての呼名、呼名された子どもの返事と起立を確認。
クラス全員の呼名が終了すれば、着席の合図。
担任教師の【本日の三歩目】が終了。
この点呼。涙があふれてきそうなシーンでしたがグッとこらえ、担任根性の見せ所?けど、涙声は出さなかったものの、若干目頭が熱くなってたかな?辛かったですね。

その後、学校長と来賓の方々からの祝辞の後、在校生代表から送辞と在校生合唱、それを受けての卒業生代表の答辞と卒業生合唱。
担任のプーが特に哀しさ、切なさをを感じたのは、呼名点呼と式場退場。
「アァ~、これでこの子らとお別れなんかぁ!!」

式場を退席後、各学級へ行き最後の帰りの会。
涙目交じりの笑顔で別れを告げ、職員室での打ち合わせをすませ、子ども達の下校を確認のため教室へ。
教室内の前に立ち、子ども達の机・椅子を眺め室内を見まわしていたような…。

ところで、卒業式当日の一歩目。何だったと思いますか?
それは【各クラスでの子供たちとの出会い】。
じゃあ、二歩目は?
ここは【体育館入場】。
三歩目が【呼名点呼】でしたよね。
四歩目、最後の五歩目は?
四歩目が【式後の教室での出会い】で、最後の五歩目はーー
【学級での別れ】。

式当日の子ども達との共同作業【中学校生活、最後の一歩から五歩】の歩みを綴ってみました。

職員室へ戻り、式後の簡単な職員打ち合わせをすませ、学年会議の名の下、卒業式についての感想を伝え合い、新学年の受け入れについて簡単に話し合いました。
卒業生を送り出した喜びと哀しみを心の奥に片付け、新入生を迎え入れる喜びとハツラツさを胸に、入学準備に取り掛かりました。

元先プーの泣き笑い劇場〈ニ〉

学校現場で、子ども達の自主的な、能動的な活動を目にすると、嬉しくもあり楽しくもあり、教師冥利に尽きると言っても過言ではありませんね。

教室内外での活動で、例えば授業中。
尋ねたことや呼びかけたことなどについて、時間はかかる時もあるけど動き出し答えてくれます。
しかし、清掃活動の時間、動いているのは女子生徒と数人の男子生徒。
目にするのが辛い時間でした。
「今は掃除の時間やし、しっかりと掃除をしよか!」と声をかけながら、担任教師自ら一緒に掃除を始めていました。
何度か声掛けをし、ようやく動き出す子ども達。
ある意味、子ども達からファイトをもらった気がしました。

こんなことがありました。
二学期のメインイベントの一つであった体育大会。
学級の一丸となった力が見受けられた体育大会。

3年生の学級担任を任された時の学級旗。
5m×4mほどの白生地に描かれた旗のデザイン。
何やら人の顔らしきデザインの下書きが描かれ始めました。
学級担任としては、どのような顔が描かれていくのかを、日々、旗の完成を待ち望んでいました。
すると、ナナ何と!学級担任の私の笑顔ではありませんか!!
また、よう似てるんです!
思わず、モデルの私自身が吹き出し、旗と同じく笑顔になっていました。

当たり前の話かもしれませんが、子どもたち自身が思い悩み、考えて動き出すと、すごく積極的な活動が見られることに気づきました。
子ども達が繰り出すパワーには、毎回大喜びでした。

元先プーの泣き笑い劇場〈ハ〉

今でも、学校行事の体育大会での種目であったり地域での体育活動には、切っても切り離せない競技になっている大縄跳び。

学校現場では、各学年で学級抗対戦を行い、各学年のトップが決まります。
1年、2年、そして3年の各学年トップの3クラスが集まり、学校内でのトップを決める学校内対抗戦が始まります。
3年生の各クラス対抗戦、見ごたえがありました。
掛け声の大きさ、ドスが効いた深みある低音の叫び声。
ジャンプして飛び降りた時の地響き音。
どこを取り上げても、圧巻でした。
各学年のトップが集まり、対抗戦が始まります。
3年生対1年生。
体力面では明らかに3年生が優位。
けど、時には1年生が勝ち上がったり、3年生の体力に力及ばず3年生が余裕で勝ち進んだり…。
2年生は、体力的にも3年生と勝るとも劣らずなので、学校トップを決めるための大勝負が見受けられました。

戦いが終わって勝ち負けに関わらず、お互いに栄誉を称え合っての拍手が見られました。 
担任教師として、幸せ感の連続だったことを思い出します。

こんな競技があったのを思い出しました。
「ピラミッド」と言われていた組体操。
男子生徒が四つん這いになって横1列に並びます。
10人ぐらい?いやいや15人ぐらいだったでしょうか?
その上に2人ほど少ない人数の生徒が登ります。
最後に一番上段の生徒が上がりきります。
この後、下の段から順に腕と膝を立て、最後に最上段の生徒が立ち上がり完成。

確かに、でき上っていくのを見ている者にすれば、「ヘェ~すごいなあ」、
組んでいる生徒たちにすれば、「やった~」の思いだったのではないでしょうか。
けど、近くで見ていた教職員は「オ!ようヤッタ!!そのままの状態で崩れんといてや!頼んだで!!」の心境だったと思います。
喜びの中にもドキドキ感を味わった時でした。

生徒たちが一つの塊(固まり)となってやりきる力を、学級内での班対抗や男女対抗、学年内での学級対抗と男女対抗、そして校内での学年対抗(男女別も含む)など、いろいろなシーンで味わうことができました。
生徒たちの「これヤ!」と言うパワーに、特に担任教師を任されている時には出会いやすいですかね。
このパワーが、担任教師や学年教師、そして、その子たちと共に学校生活を送っている教師が生徒たちと実りある学校生活を送ることができる力の大本なんですよ。

元先プーの泣き笑い劇場〈ロ〉

教育現場で活動していると、喜んだり怒ったり?と思えば、哀しいことや楽しいことに出会っていたことを振り返れて、幸せです。

教職員となって4年目の春。
1年生の学級担任を任されての新学期の始まりでした。
初めて出会った子ども達。
見るからに、「ピカピカの一年生」と言わんばかりの幼さが残る笑顔。
その子たちと初めて出会ったのは、プーが任された学級で。
廊下から教室へ足を踏み入れた、その一歩目。
子ども達からの視線を一気にあび、すぐさま緊張感がハイに!
「おはよう!私が、みんなの1年間の担任をすることになったプーです。よろしくお願いします」のような挨拶をしたのだと思います。
その後、入学式の流れを説明し…。

廊下に並んで、入学式場の体育館へ歩き出しました。
体育館へ一歩目を踏み入れ、一礼をして我が学級の場所へ。
緊張感がにじみ出た面持ちだったのでしょうかね!?
この緊張感を和らげてくれたのが、吹奏楽(ブラスバンド)部の演奏でした。

式が始まり、流れの中で各学級の生徒名が読み上げられます。
もちろん、各クラスを任された学級担任の活動(取り組み)。
読み飛ばしと読み間違いは許されない世界!
式の流れの中では、メインのイベントですかね!?
来賓の方と学校長、在校生代表からの歓迎の言葉があり、新入生の退場でした。
ブラスバンドの演奏と列席者の拍手の中、式場を後にしました。
学級担任を任された教師陣の心の中は、ホッとした気持ちになっていたのでしょう。
各学級の部屋へ戻り、明日、明後日の予定と動きを確認し、生徒達とさようならでした。
午後からは学年会議が開かれ、各学級担任から学級の様子を報告し、学年全体の雰囲気について話し合い、新学年の初日を閉じました。

30年以上も前の話になりますのでハッキリと思い出せないのですが、緊張の連続だったと感じています。
新学年の二日目からは生徒達とガップリ四つの生活が始まりました。
新入生を受け入れたプーにすれば、喜びのシーンを味わっての新学年のスタートでした。

元先プーの泣き笑い劇場〈イ〉

私、元先プーが教育現場に足を踏み入れたのは、今(2021年)から35年前の昭和61年(1986年)の4月からでした。それまでに、自宅近くの中学校で講師としての生活を送ったことはありました。 ここから始まった正規教職員としての生活では、泣き笑いのエピソードにたびたび驚かされました。
特に、学級担任として子どもたちとの生活が始まると、…。

一番最初に赴任した学校で、最初の7年間は普通学級の担任を任されました。1年・2年・3年の3年間を2回終え、さらに3回目の新学年を向かえました。
2年目からもこの子たちと、と思っていましたが、その学年の2年目からは障害児学級の担任として、1名の子ども(生徒)との学校生活が始まりました。教職員生活8年目で学校生活に慣れてはいましたが、障がいのある子どもとの学校生活は、プーにすれば全く新しい教育界での活動であって不安アリでした。
が、反面、期待感があったのを思い出します。
プーが初めて出会う障がいをもった子ども。
こだわりが強くてよく動く(多動)、ということを聞いていました。
その子が2年生になった4月から、プーとの2年間の生活がスタートしました。
主要5教科(国・数・社・理・英)以外の4教科(音・美・技・体)については、交流学級としてその子が所属している原学級で活動する時がありました。
原学級とは?なのですが、
普段は障害児学級の生徒として活動しているものの、ひと学年の生徒として、所属しているクラスがあります。そのクラスが原学級なのです。
例えば、校外学習などの学校外での活動や音・美などの4教科では、原学級にもどって活動する時もありました。その時の体調にもよりましたが…。
ここから先の文章では、障がいのある生徒のことを「キミ太」と呼びます。

学校生活の始まりである朝の会(朝学活)。その日その日のキミ太の調子にもよりましたので、原学級に行けなかった時にはキミ太とプー、二人での朝の会が始まりました。
日々の活動ですが、文字書きの練習や話の作り方などのために学級日誌を書くことやそのほかにぬり絵をしました。
また、キミ太は車好きな生徒でした。教室内での活動中、車が走る音が聞こえてくると席を立って窓際へ行き、走り去る車を指さしし「ブ~」と言ってました。ブツブツと何かを言いながらも…。
そのシーンを目の当たりにしたプーは、「授業中に立って、席を外すなんて!!」と思い、席に着くように声をかけました。
「キミ太、授業中やし座ろう!」
が、全く聞く耳もたずで、座る気配無しでした。
プーとしては、「授業中やのに、なんで立つんや!」と心の中で叫び、キミ太の側へ行き座るように促しましたが、全く座ろうとする気配は無し!
そこでプーは、キミ太の肩に手をかけ座るように、何回か促しました。
その時でした。キミ太は怒り出して突然プーに食って掛かってき、自分の椅子を投げたり机を倒したり…。
そのこと以来、車の音がしてキミ太が立ち上がった時には、「キミ太、自動車が行ったら、また戻って来てや!」との声をかけることにしました。
その後は、目当ての車が走り去ると席へ戻ってき、そのままの活動を続けていました。
このことは、教職員生活8年目を迎えたプーにすれば、「何事が起ったんや!」と感じた出来事であり、怒鳴りたくもなるようなハプニングでした。

自分のこと!その2

自宅内での捕まり歩行や杖歩行に慣れだしたころに「外を歩いてみたい!」ということを思い始め、杖をついて玄関先へ出ました。 我が家の前に立てたことを心にきざみ、近所を歩きました。
自宅周りをウロウロと歩き、一般道路の歩道歩きで横断歩道も渡ってみました。横断歩道を渡って振り返り、「今、あの歩道を歩いて来たんだ!」と言う達成感が心の中に湧きあがったことを思い出します。

屋内外での階段上りをし、手すりが付いてあれば降りる練習もしました。坂道の上り下りを始め、下り道を歩くことの怖さを感じながらの動きでした。芝生道の歩きや上り下りもし出し、足元のフワフワ感には何度か立ち止まっての歩きでした。
歩行時間を計り(ここまで歩くのに、どれぐらいの時間がかかるのかな)、およそ1キロぐらいを歩くのに30分?40分?いやいや、小一時間ほどかかっていたかな?

砂道ですが、歩きで足が砂に沈んでいくことに怖さを感じたので、歩きませんでした。
砂利道も歩いてみよう思いましたが、踏み込んだ時に身体が左右に揺れるのが怖くて、歩くのをやめました。

ほとんど、午前中に1時間を目安に歩き出しました。午後から歩く時は、自宅周りなどの近場を歩いていました~足の疲れからの足の重さ?を感じていたので。 健常な時には足の重さを感じることはなかったのですが、肢体不自由の障がいを持ってからは、二足の重さを感じ始めました。足の重さは、現在でも感じています。

障がいを持って自分なりに動き始めた時から、人の身体の動きの素晴らしさを感じています。立ち座り、前歩き後ろ歩きに横歩きなど、自分の思いのままに身体を動かすことができるなんて…さらに、話ができる、食べることができるなどなど。当たり前のことと感じてできていたことが、当たり前にできなくなった時の辛さ、悔しさを何度となく感じています。

自分のこと!

トップページの『プー(中の人)』に命が残ったことの嬉しさとありますが、この事について語ろうと思います。

今は障がいを持つ人たちが働く場『シェイクハンズ』で活動していますが、1999年の2月までは公立の中学校で子どもたちに囲まれて、楽しく愉快な生活を送ることができていました。98年4月からは3年生の学級担任としての生活が始まり、ブラスバンド(ブラバン or 吹奏楽)部の顧問としての活動も続けました。

99年3月初め、ブラバンの出張のため、担任していたクラスの帰りの会から後は同学年の先生にお任せして出かけました。
原付で学校を出て、走行途中に駐車していた軽自動車に接触し転倒したらしいのです (本人は覚えていません…)。その勢いでヘルメットが外れて右後頭部を強打して一か月程の意識不明の日々が続き、全く本人が知らない世界でした。
気が付けばベッドに寝ころび、体や手足が動かない状態だったのは覚えています。

動けない、美味しく食べられない、話ができない、文字が書けないなど、ショックは大きかったです!ベッド上の生活は、辛かった!

病院での生活や退院後の自宅生活、自宅近場の作業所通いを終え、中学校現場に一旦復帰しました。
けど、事故後の後遺症(記憶障害、話の組み立てや構成の不良など)のために教職を退き、自宅生活を始めました。
事故後のたび重なる自宅生活で、「何とか、自分の二足で歩きたい!」との思いは捨てきれず、自宅前での車イス乗りや車イスを支えにしての歩きを始めました。車イスを支えにしながらでも自分の二足で歩けた時には、自然と笑みが出ていました。
車イスを相棒にしての歩きから杖を支えにしての自宅前での歩行ができた時、満面の笑顔になっていました!
そこから先は杖歩行で時間を見ながら歩いたり、坂道の上り下りと階段の上り下り、芝生の上歩きなど、様々な歩き方を障がいのある体に覚えさせました。本当に、必死でした!
路線バスや鉄道に乗っての移動にもチャレンジする様になりました。
路線バスに乗り込むステップ。高すぎますね!
歩行困難な私にしてみれば、ステップに足を挙げるのも必死!「火事場の馬鹿力」?のごとく、手と足に力を込めて体を持ち上げて…。当然の事ですが、降りる時も必死でした。杖をしっかり突き、体のバランスを取りながら足が地面についたときには、「ヤッター」の気持ちが湧きました。

我が家の猫たちの「猫エピ」?

我が家にいる猫たち「猫五人衆」? との生活上でのエピソード「猫エピ」を語ろうと思います。
年に一度か二度の出会いの中で、良くそばに来てくれるプー。
眠る時以外には、食事の時間やくつろぎの時間にやって来ます。
美味そうな匂いにつられて、食事の時間には必ずと言っていいぐらいに私のそばにやって来るかな?特にプーは。話し込んでいたりテレビを見てよそ見をしていたりすると、食事に手や鼻が…。時には、テーブルの上に2、3品がポロリと!

五人衆のプー以外の猫とは、あまり出会わないですね。けれども、黒猫のカイは、時々そばに寄って来てくれます。私が我が家へ戻ってきていない時の五人衆の様子ですが、ほとんど一日中、眠っているようです。

ところで、「猫五人衆」のそれぞれの呼び名なんですが、「プー」「カイ」のほかに、「バボ」「ディラン」「のん」と呼ぶ子がいます。

それぞれの呼び名についてですが、『カイ』は、元の飼い主の方がインスタント食品「おかゆ」の段ボール箱に入れて飼っておられました。その猫を譲り受けた時に「カユ」にしてくださいとお聞きしていましたが、我が家では「カイ」に!
『バボ』ですが、女子バレー全日本チームのマスコットキャラにちなんで「バボ」と!

『ディラン』についてです。世界的に有名なアーティスト、ボブ・ディランさんがノーベル賞に輝かれました。この時に生まれたので「ディラン」に!
『のん』は、我が家の先代猫のビビが連れて帰ってきた猫で、四コマまんがの主人公「ののちゃん」の名にちなんで、「のん」と!
この「猫五人衆」との生活が我が家では繰り広げられています。

プーの様子をのぞいてみよう

【これがプーの正体です!!】

ブログの中に出てくる『プー』って、我が家にいる「猫五人衆」?の一人なんです。三毛猫で、私が実家で生活している時には、よく傍にいてくれました。

ところで私自身、今は事情があって一人暮らしをしていますので、プーとは日々、離ればなれの生活になります。プーと出会えるのは、私が実家へ戻る時の年に一度か二度。だから、余計にプーとの出会いが楽しみになるんです。

毎年、プーとの出会いを楽しみにしながら、一日一日を大切に暮らそうと感じています。
「プー、元気に待っててネ!!」

【『プー』の名付けと我が家での様子】

我が子が仕事の都合上、一人暮らしをし出した時に一緒に生活していた猫で、「福」っていう名前で呼ばれていました。
この福、我が家にやって来て名前が変わりました。その名が「プー」なんです。

「福」→「ふく」→「ぷく」に。
それが、「ぷ~」or「プー」に変わったのです。

実家に戻ると駆け寄ってきてくれ、テーブルに着くと膝に飛び乗ってきます。すると、「アンタに惚れてるヨ!!」と言わんばかりに、なめなめペロペロ攻撃?が始まります。私としては嬉しい限りです。

夜になって私が眠りにつくとやって来ます。布団の中に潜り込み、私の顔横で一緒に眠りますが…。
ここからがお笑いタイムです。顔横にいないなと思ったら、布団の中がゴソゴソするではないですか!!特に、股座あたりが…!?
さすがに、暖かいところが命(イノチ)の猫ですね。
朝を迎えると、何食わぬ顔をして「おはよう!!」の鳴き声。
こんなプーに出会っていると、癒されますネ!

いらっしゃいませ

「エッ、なに!このタイトル!?」「なんなん、元先とプーって!?」、と思われた人が多いのでは?この謎については、後々、お伝えしていくことにします。

私はコーヒー好きで、特にブラックを好んで飲んでいます。時には、砂糖を少し入れている時もありますが…。ドリップしている時の、あの何とも言えない香ばしい匂い。
「う~ん、コーヒーって美味い!!」。淹れたばかりのコーヒーの美味さ、この美味さを引き立ててくれるスイーツ。
「ん~、けど、スイーツの美味さを引き立てるのはコーヒーかな!?」

ところで、私は日々、手動の車イスを相棒に生活しています。もう、10年近くになりますかね?実家では、プーにも癒されながら…。
今では、障がいを持つ人たちの働く場「シェイクハンズ」で週3回活動し、発送文章の作成や完成文章の校正などに取り組んでいます。また、フェイスブックのホームページに、日々思ったことや感じたことを書き込んだりもしています。ある日、職員さんから「ブログを立ち上げてみれば?」というアドバイスをいただき、文章作りに面白さや楽しさを感じている私は、今回の立ち上げに至りました。
日々の生活で思ったり考えたり、感じたりしたこととコーヒーについて自分なりに調べたりしたことを綴っていこうと考えています。

『元先プーの備忘録』、よろしくお願いします。この先、どのような展開になっていくのか?
お楽しみに!!

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